CAに限らず世の中は思ったより汚いという話【現実の世界】

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CAに限らず世の中は思ったより汚いという話【現実の世界】

 

衝撃的タイトルでしょうか、あるいは何となく腑に落ちますか?
おそらく読者の皆さんによって印象は異なると思います。

 

今日は、私がこれまでの◯十数年の人生経験と、CA(客室乗務員)経験のなかでたどり着いたひとつの結論についてお送りしようと思います。

 

CA(客室乗務員)に限らず、そして婚活や仕事に限らず、私はこのことは人間という生き物の真実であると確信しました。

 

そして、このことを知れば良い意味で開き直ってもっと楽に生きられるのではないでしょうか?

 

就活も本格的に始動しているこの時期こそ、これから社会に出る方にはぜひこのことを知っておいてほしいなと思います。

 

 

学校で教わった善悪を思い出してみてください

 

小学校から中学、高校では勉強だけでなく、物事の善悪についても先生から教わりますよね。
それは「道徳」という授業としてもそうですし、普段の学校生活の中で折に触れて先生から色々な話を聞いたという方が殆どかと思います。

 

どうですか?色々なことを思い出しませんか?

 

例えば、クラスでいじめがあったら先生がいじめっ子を叱り、その他の生徒にもこのようなことをしないようにと指導がありますよね。
また、校則に違反した服装をしていると注意をされますし、遅刻をしても注意をれます。

 

あるいは単純に、「嘘をついてはいけない」とか「人を傷つけることを言ったりしたりしてはいけない」ということも習いますよね。
逆に、先生の言うことを聞いて優秀な成績を取ったら褒められますよね?
あとは困っている同級生を助けてあげたり、部活で優秀な成績を残したりすると褒められませんでしたか?

 

このように、学校生活を通して経験する様々なことに対する先生からの評価を通じて生徒たちは徐々に世の中の善悪を学んで行きます。
そして、その善悪の価値観が社会のルールであるということを教わります。

 

 

子供の頃の大人はのイメージはどうでしたか?

 

そんな子供時代、あなたは「大人」という人たちにどんなイメージを抱いていましたか?
おそらく、世の中の大半の大人が善悪をわきまえて立派に生きているんだろうなと思いませんでしたか?

 

 

特に自分の親についてはその思いが強くなかったですか?

 

自分の親に限っては全てが正しくて、絶対に間違ったことはしないんだなんて思いませんでした?

 

 

たまにニュースなどで出てくる凶悪事件の犯人の大人は極めて稀なケースで、だからこそニュースになるんだと思っていませんでしたか?
あとは、会社で上司に怒鳴られて心を病んでしまう大人は、きっとその人自身に問題があるからそうなるんだと思いませんでしたか?

 

大半の大人は品行方正である、さもないとすぐに社会から弾かれてしまう、なんて子供時代に思って一生懸命に先生や親の言うことをきいたという方はとても多いと思います。

 

 

社会の構造は真逆で成り立っているということ

 

このように子供のころから学校で習ってきた善悪の価値観ですが、それらが当たり前のこととして社会では成り立っているのか?
そして、そもそも子供たちが学校や親から教わってきた善悪の価値観の真の目的とは何なのか?

 

・・・残念ながら、世の中の大半は真逆の構造で成り立っていて、子供のころから習う善悪の価値基準の真の目的とは違うところにあるんです。

 

そう言ってしまうとまるで私が悪いことをしろと煽っているように聞こえるかも知れません。
しかし、それは違うということだけはここではっきりと申し上げておきます。

 

そうではなく、理想と現実のギャップがあまりにも大きいのが現実の世界なんだよ、という事をまずお伝えしたいのです。

 

それは一体どういうことなのかをご説明しましょう。

 

 

善悪真逆の構造?

 

以前こちらでお伝えしたように、人や物事が「正しい」と判断される基準って、その世界によってものすごくバラつきがあるんです。
私たちがこれまで習ってきた価値観からすると、このおばさんCAの振る舞いは許されませんしそもそも「悪」です。

 

しかし、この狭い世界の中では「善」として通ってしまっているんです。

 

CAの世界だけでなく、会社内やちょっとしたコミュニティーにおける善悪も同じことです。

 

世間一般に普及してる善悪の概念は、所属組織におけるそれとは大きなギャップがあるということをどうか覚えておいてください。

 

 

法を犯したら裁きを受けるということについて

 

もちろん法を犯したら、たとえその集団の中では善とされていても、法の裁きを受けなければなりません。

 

窃盗や傷害や殺人などの露骨な犯罪を犯して他人の命や財産や名誉を奪う権利は誰にもありません。
社内での嫌がらせやそれが原因での自殺なども不法行為としてそれが立証されれば、加害者は刑に服したり賠償義務を背負うことになります。

 

しかし、一方で世の中はあなたが思う以上にそれらは「バレなきゃいい」という考えが横行しており、実際にそれを前提に回っているところが大きいのです。

 

脱税や詐欺や証券取引法違反といった経済犯罪の場合特にその傾向が強いですし、時には重大な刑法犯罪の場合でもそのように思っている人たちが多いのです。

 

その組織やその個人の支配力が強ければ強いほど、そのような傾向がより高くなるのです。

 

それは社内のお局から国の代表に至るまでじつに広範囲に渡りますが、「我こそ正義」という前提がこの世の中には広く浸透しているのです。

 

 

勝った方が正しいという結論【支配の論理】

 

つまるところ、この「我こそ正義」という考えとは「支配の論理」であるということなのです。

 

歴史の授業で習ったことを思い出してみてください。

 

日本国内でも昔は沢山の国にわかれていて、国同士での戦争が当たり前の時代が続きましたよね。
そして、勝った国が負けた国を支配して勢力を拡大していくというこの過程こそがまさに支配の論理なんです。
越前国の決まりが常陸国でそのまま通用するわけがないという話なんです。

 

そして戦に勝った方の国のルールが「正しい」とされるのです。

 

性根の腐ったお局もそうですし、世界を支配する権力者と呼ばれる人や組織についてもそうです。

 

他人を支配することの連鎖でこの世は成り立っているんです。

 

つまり、私たちがこれまで学校や親から習った物事の善悪・道徳やモラルとは、支配者にとって都合の良い価値観と言えるのです。
授業中に騒いで怒られるのは支配者である学校と教師にとって都合が悪いから、優秀な成績を取って褒められるのはそれが支配者である教師や親にとって都合が良いからなのです。

 

お局がなぜ社内で認められているのか、それは支配者である会社にとって総合的に見て都合が良いからなんです。

 

強盗殺人などの凶悪犯罪を行うと法の裁きを受けるのは、つまるところ支配者である国にとって都合が悪いからという論理なんです。

 

また、「悪法もまた法なり」という言葉聞いたことありますか?
そして未解決の凶悪犯罪や、うやむやなままの事件や事故って世の中に沢山ありますよね・・・。

 

そういうことなんです。

 

世の中は想像以上に汚い世界なんですよね・・。

 

 

汚い世の中で自分の良心を大切にして生きるということ

 

このように、世の中の善悪の価値とは極めて脆いものなんです。

 

そして、それぞれの思惑が利害として衝突をすることで成り立っているのが社会なんです。

 

私はこのことに気づいたとき、物凄く動揺しましたし恐くて眠れないこともありました。

 

しかし、たとえそんな魑魅魍魎がひしめき合っている世の中においても、私は自分が信じる良心だけは大切にして生きていきたいと思います。

 

私が信じる良心とは、私の笑顔で人も笑顔にしたいという思いです。
笑顔が嫌いという人のことなんて気にしませんよ(笑)!

 

大切な人やお客様に笑顔になってもらうことや、困っている人が居れば笑顔で助けてあげてその人も笑顔にしたいという私の信じる良心です。小さななことなんですが、私はそれを頑なに大切にして生きていきます。

 

ですので、もし「支配者」からの理不尽な仕打ちで悩むようなことがあったら、そんな時こそあなたの良心というものを強く信じて欲しいのです。

 

 

これから就活をして社会に出ようとしている皆さん!

 

他人の常識は自分にとっては非常識、その逆もまた然りということを念頭に置きながらもあなたの信じる良心を大切にしてください。そして、辛いことがあったときこそ「世の中の善悪なんて脆くてはかないものなんだ」、「世の中思ったより汚いんだ」と良い意味で開き直って心を解き放ってあげてください。

しえすたのプロフィール
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